不惑の転職活動
また転職を考えている。最近は3年おきくらいに転職している。
今の会社は、入社した時はこんなに良い会社があるんだなと驚いた。
子供が大きくなったら、「お父さんこの会社で働いてるんだよ」とか言えるのかなとか思っていた。
とはいえそんな状態が長く続くわけはなく。
今ウェブ開発業界はバブル真っ盛りだ。Saasを提供するスタートアップが増えてきて、資金調達でたくさんのお金を調達して優秀な人を雇う、という流れができている。
新卒で入ってくる子は有名大学ばかりで地頭も良いし、中途で入ってくる人も名のある大企業出身者が多い。
さて、資金があるからと言ってバンバン採用できるかと言うとそんなことはない。スタートアップはたくさんあるし、内定を出したからと言って来てくれるわけではない。内定をもらった人は大抵他社からも内定をもらっているケースが多い。
でも合わない人が入ってくると色々と悪影響も多いので、採用基準はどこも一様に高い。
この採用基準が高いというのはとても良いことで大事だと言うことを10年くらい前に学んだ。
私はいわゆるSIerのSE出身なのだが、SIerという所は人さえ集めてプロジェクトに突っ込めば金になるので、大きなプロジェクトほど得体のしれない人や未経験者がどんどん入ってくる。まともなコードを書ける人は数人しかいなくて、残りはコピペ要員なんて珍しい話ではない。
人を突っ込むとお金になる仕事なので、当時私が居た会社の仕事はパワポでお客さんに提案してプロジェクトを受注したら、あとは協力会社に見積り依頼だして、プロジェクトが始まったらエクセルで今月の売上と利益を計算して報告する。
現場には定期的に顔出して話したり、協力会社の人が「私は協力会社なのでこの作業はできません」と言う隙間に浮いた作業の手続きをすることだった。
こういう隙間に浮いた話も自分でやってしまうと「お前のあとに入った人も同じようにやらなきゃいけなくなるだろ。全部下請けに投げるんだよ」と言われていた。
これは単独のプロジェクトだと楽そうに聞こえるが、大抵複数並列にやってるので基本残業が毎月80時間位は出てたような気がする。残業は確か固定で65時間分が出てるので、65時間を超えて申請してはいけなかった。「部長、今月の残業時間は65時間超えそうです」「64.5時間で提出しておいて」と言う会話は別に珍しいものでは無かった。
私は元々プログラムを書くという行為でしか評価されてこなかったので、それができずやりたくもない調整ごとばかりしているのは苦痛でしかなかった。
会社が大嫌いで、お金のためにやりたくもないことをやってる自分も大嫌いだった。そしてできないことばかり言ってくる協力会社の人も大嫌いだった。私も下請け出身なのでそう言わなくてはいけないことは分かるのだが、余計な仕事が増えるので嫌いなのである。我ながら嫌な奴だ。
なので、未だにSI業界と言う所には大変な嫌悪感と偏見を抱いている。
この年になっても嫌悪感は消えていなかったので、一生消えることは無いのであろう。
そんな会社も業績不振で部署ごと子会社に転籍が決まったので、転職活動を開始した。
転職活動がうまくいくとは思えなかったし、見つからなかったら諦めて今の会社でひっそりと生きていこうと思っていた。その会社自体、元々はメーカーだったがバブルが弾けて粉飾決算で盛大に潰れた会社から売られた部門の人たちが母体だったので、そんな人ばかりだった。なので自分もそうやって生きていこうと。
だが当時はモバゲーやGREEがバンバンCMやっていた時代で、あっさりソシャゲの会社に内定をもらった。
当時はまだSIerからウェブ系に行くのは都落ちみたいな感覚を持っていた。あぁ俺も終わったなと。
でもそれは杞憂に終わることになる。
ソシャゲ業界への転職
ソシャゲの会社に入った時、皆が当たり前にプログラムを書いていてびっくりした。「私は何を説明されても理解しません。都合の悪いことは聞こえないふりするし、言われたことしかやりません」みたいな人が居ないのだ!これは衝撃だった。
そういう人も居たけど、あまり接することはなく、ごく少数だった。
私は基本的に人の面倒を見るのが大嫌いなので、この環境はとても居心地が良かった。
プログラムを書くという行為で仕事が評価され、前の会社にあった嫌な仕事である協力会社の管理という名目のエクセル作業や、下請けのためにあれこれお膳立てして上げる必要が無いのだ。
一生ソシャゲ業界に居ようと思ったものだ。
そんな会社だったが、ソシャゲというのは栄枯盛衰が著しく、入った会社は転げ落ちるように売上が下がっていった。
驚き
存在すら忘れていたブログに突然スターが付いた。
通知が来たとき「なんだこれ」ってなるくらいで、本当に存在から忘れていたので、なかなかの驚きだった。
ただ10数年前の自分の考えてたことを改めて知れるというのは良いもんだと思う。
適当に生きてきたつもりだったけど、意外と考えていたのかな。
退職してみて
気づくと前回の日記から一年経ってた。
退職の旨を会社に伝えてから、なんだかんだで辞めるまで一年かかった。
別に無理に引き止められたりしたわけでは無く、引継ぎやら転職先がうまく決まらないやらでズルズル残った感じ。
最終日は会社の皆がほぼ総出でかくし芸みたいのをして送別してくれた。
あんなに沢山の人に祝ってもらえたのは人生で初めてだ。今後も無いだろう。
なんていい会社なんだろうと心から思う。いつか何かの形で恩返しがしたい。
じゃあ何で辞めたのかって言うと、思うのは「人」は良かったんだけど、「会社」としてはずっと働いていきたいと思える思いがもてなかったんだよね。
人間30歳にもなると将来を考える。自分にはどういうスキルがついて来ただろう、老後の蓄えとかどうしよう、とか。
今後のキャリアプランはどうなるのか、今後どうやったら給料があがるのか、退職金はどうなってるのか?数年後に上場したいと言っているが、その真意は何なのか?
あまり小さい会社に色々求めるのは酷かも知れないけど、「好きにすればいいよ」「やっておくから心配ないよ」じゃなくって、制度なり規則なりで文書化されたりしてないと不安ばかりが先に出てきちゃうんだよね。
主力の人がどんどん辞めて行っちゃったりしてるベンチャーや零細企業とかの社長さん役員さんは、そういう事も考えてみてほしい。
多分同じような理由で辞めていく人って結構多いと思う。
転職
転職活動中だ。
まだ会社には話してない。
今日一社から内定をもらった。夢だったメー子。父親もビデオデッキの設計とかしてたから、ここに決めたら喜びそうな気がする。
ただもう一社受けてるので、そちらの結果次第になるけど。
今の会社は2社目で、ウェブ系の開発をやってる。
結構トレンドなRIAの開発をAdobeのFlexでやったり、サーバーサイドにはJavaのフレームワークを使ったり、細かい案件でPHPを使ったり、それなりにウェブ系っぽい事をやったけどどうも燃えなかった。
なんて言うか、ウェブ系の開発って出来合いのソフトウェアを組み合わせてるだけって感が強くて面白みが無いのよね。楽しくない。
Javaも最近のフレームワークは色々新しくなってて驚いた。DIやらAOPとかに始まってアノテーション、インターセプタとか用語から覚えるのも一苦労だった。
で、覚えた結果は面白くなかった。仕事は楽になるんだけど面白くないんだよねぇ。全然ワクワクしない。
なんだろう。単なる飽きなのか。
Cしか知らない頃にC++を仕事で使って、クラスや仮想関数とかSTLとか覚え始めた頃はすごく面白かった。ぼんやりしか設計イメージをいい感じでコード化できるのが楽しくてしょうがなかった。
まぁいいや、もう寝よう。